バスの中では若い男が嘔吐した
「キャッ」 バイト帰り、土曜日の夜10時くらいのそこそこ満員のバスで、後ろの方から悲鳴が聞こえた。 続けて何人かが逃げるように前方にやって来る。 やだ、うしろでなんかあったん? みんな後ろをキョロキョロ振り返る。
車掌! ちょっと調子悪い人がおるみたいですわ!
男の人が叫んで、バスが止まった。女の人がなにか拭くものを求めて運転手に話しかけた。誰かが吐いたらしい。車内はちょっとざわざわした。確かに酸いにおいがする気もする。バスは暫くして動き出したけど、次のバス停で運転手はどこかへ行ってしまった。乗客はけっこう放置された。
すいません、このバス運行やめるんで、次のバス乗ってください。1番ならすぐ来るんで
え、このバス4番ですよね、1番ってどこ行くんですか
途中までは一緒です
4番はいつ来るんですか?
しばらくこないですね!
絶妙な責任の取り方、あるいはとらなさをもって運転手が普通に話したので、乗客もわりと普通に話した。みんなすごすごとバスを降りていく。
あの、運賃は……
要らないです!
昼間は暑かったのにその日の夜は冷えた。バス停に妙に人が多くなってしまった。吐いたらしい人と、その人を助けたらしい人たちはまだ降りてこない。1番のバスを待つ人たちも静かで、落ち着いていて、電話で話してる女の人がひとりいるだけ。
だから今日は彼氏の部屋に突撃する予定やってん。そう、ちょうど今日で3ヶ月なんよ! そんで連絡なしで突撃しようと思って、逃げたら困るやん笑。そー、だからー、部屋に直接行く予定やって、彼女がおるかもしらんけど、もう終わろ、と思って。ちょうど今日夜はいれたし、そのまま家いこー、と思って。もう仕事もやめるし、今日でちょうど3ヶ月やしー、と思って。きりいいし。そういう強い意思で4番乗ってん、今日は。え、どこ行けばいい? 橋の方? オッケー
女の人、バスが止まったことについてひとつも喋ってない。バスから若い男が降りてきた。手に袋を持っている。あれに吐瀉物が入ってるんだ。サラリーマン風の人に介助されていて、その人は若い男にため口で話しかける。
じゃあ、このへんでも座らせてもらって。大丈夫? お酒飲んでるの?
はい……
一人暮らし?
はい……
ひとりで帰れる? 誰か迎えに来てもらえそうな友達とかいない?
えっと……
はいこれ、ティッシュ
ありがとうございます……すいません……
うん、じゃあとりあえずなにか、飲み物とか買ってくるから
ありがとうございます……すいません……
サラリーマン風の男はコンビニに向けて歩きだした。近くにコンビニあるのかな。女の人は電話をしながら橋の方に向かってバス停を離れた。若い男はうなだれている。背中が細い。嘔吐の近くにいたらしい人たちはバスの中とか外でいろいろ話しているけど、バス停にいる人たちは次来るらしい1番のバスをじっと待っている。
すぐ近くで、バスが左折してこっちにやって来るのが見えた。4番のバスだった。