ハッピーデザイン

デザインとアートの違いについて、長らく考え続けている。

 

 

 

起源をある程度一にするはずのこのふたつが完全に分離してしまったと感じられる現在では、例えばアートは作家の自由だがデザインにはクライアントがいるとか、アートは美しさを追求するがデザインでは機能性が重視されるとか、お互いの違いをいっそう強調するような切り口でそれぞれの特徴を述べる言葉が多く存在するが、どれも完全に納得できるものではない。

 

 

デザインにだって美の追求の観点は絶対に必要なはずで、こういった言説には基本的に装飾デザインに対する視点が抜け落ちているし、アーティストが好き勝手した結果がアートだ、という偏見が現代芸術に対する誤解を招いているともいえるからだ。

 

 

そうした考えがまかり通るなかで、思想に現実が順応していくように、美しさの感情を切り捨てたデザインが発達していくありさまに嫌気が差し始めたころ、デザインを規定しうる新しい枠組みに遭遇した。

 

 

 

 


「デザインとは、ハッピーなものだ」

 

 

 

 


建築における室内装飾から分化したデザインは、あきらかに細部の美しさを礼賛する人間の心理と関わっているということができるだろう。

 


その後様々な分野で様々にあり方を変えてきたデザインも、基本的にはすべて、人々を幸せにしたり、ポジティブな感情を抱かせるという点において共通しているはずだ。
アールヌーボーのぐねぐねした過装飾も、特定のプロジェクトにおいて適用されるロジカルなデザイン思考も、無印良品のつるっとしたプロダクトも、作用の対象は違えどすべてなにかをプラスの方向に向かわせることを目的としている。

 

 

 

 

一方で、アートはどうだろう。

 


鑑賞者という対象が必要不可欠であるアート作品は、世間に数多く存在している。
しかし、それらの作品が対象に与える心的作用は、決してポジティブなものとは限らない。時に鑑賞者に深い考察を要求し、時に鑑賞者を悲しみで打ちのめしさえする。あるいは、鑑賞者を想定せず、作家の自己表現としての側面を全面に打ち出した作品も多い。

 

 

 


道路標識や掲示物は人を混乱させるものであってはならないし、製品は使いやすくなくてはならないし、空間は住み良いものでなくてはならない。
このようなことを考えれば、標識や製品のあとにつく言葉が「アート」ではなく「デザイン」であるのも頷ける。

 

 


そういうことを考えると、ポジティブな影響を与えるもの、ハッピーなもの、という条件は、なるほどアートとデザインを分ける分類になり得るのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

そしてこの考えは、私のもうひとつの長年の疑問である、「ファッションデザイナー」という職業の名称についても新しい視点をもたらしてくれた。

 

 


現代アートとも見まがうほどの奇抜な衣装を創造する彼らが、なぜアーティストではなくデザイナーと呼ばれているのだろう?

  

それは、服作りそれ自体の手仕事的(つまりある種のプロダクトデザイン的)あり方に加えて、衣類を身に纏う行為が、人間の幸福と少なからず関わりを持っているから、といえるのではないだろうか。

 

 

 

 

もちろん、世の中にはいわゆるデザイナーズブランドの衣類のように、人が着ることを想定していないもの、あるいは着ることで人を不安にさせるような衣類も存在している。


しかしながら、そのようなファッションは一般的でなく、例えば上記の特徴を持ったファッションをデザインした川久保玲が高く評価されるのは、ファッションにおいてアート性を人一倍強く打ち出したからであり、その事自体がその他一般のファッションデザインの「デザイン性の強さ」を示しているということができるのではないだろうか。

 

 

 

人が纏うことを前提とした、強固な枠組みのなかでの表現が求められているファッションは、いくらその表現が奇抜であったり「ハッピーな」ものでなかったりしても、他のアート作品とは一線を画していると言わざるを得ないだろう。

そして、素晴らしいものを纏う瞬間の私たちの心の高ぶりを考えれば、基本的なファッションが「ハッピーな」ものでないなど、いったい誰が言うことができようか。

 

 

 

 

 

造形において無駄に思われるものを排除したり、思考から創造までのプロセスの理論が完璧でなくてはいけなかったり、ある種ストイックでつまらなくも感じられるデザイン(特にモダンデザイン)の制約が、すべてひとのハッピーを目指すためのものだとしたら。

 

 

もしそうなのだとしたら、もう少し素直でハッピーな気持ちで、世の中のデザインを見つめられる気がしたのである。

 

 

 

 

 


(同文をノートにも投稿しています)