レポート:庭園美学論

現在わたしたちが目にする古庭園は、大陸からの文化の影響を受けており、成立したのは飛鳥時代以降であった。

 

しかしながら、意匠構造の違いはあれど、日本ではそれ以前から「庭園的なもの」が形成されており、いわゆる現在の古庭園の源流となった遺構などが多数存在する。

 

 

 

「例えば、秋田県大湯環状列石が有名ですね。stone circleというものは、世界各国に存在しているようなんですけれども」

 

説明と共に、地面に垂直に配置された細長い石の周りに、大きめの石がいくつも横たわっている写真が映し出された。

遺構の付近には川があり、この遺跡はそこから川石を持ってきて作られたものらしい。

 

 

積み上げられた石は、神聖さをあらわす最も原始的なモチーフのひとつだとおもった。

 

平坦な地面の上に、ひとつ、異質な素材の石を置く。

簡単な動作だけれど、石はそれだけで目印になり、特別な場所になった。意匠を凝らした配置ならなおさらだ。

 

 

 

他にも、三内丸山遺跡では50以上の環状列石が見つかっている。

 

日時計的な要素を持った上記の環状列石に対して、こちらはお墓のような役割をしていたらしいということだった。

 

広い土地に、小ぶりなstone circleがいくつもある。特別な場所だと、一目見てすぐわかるようになっているのだ。

 

しかし、その下から遺骨などは発見されていない。

 

 

「どうやら石の成分でね、骨が溶けちゃったらしいんですよ」

 

 

どきりとした。

 

集落で、人が死ぬ。

死は特別なものなので、人々は敬意をもってお墓を作った。

わざわざ外から持ってきた石を配置して。

 

その石の配置は独特であり、今なお魅力的な意匠としてわたしたちの目に映っている。

 

でも、その下に遺骨が残っていないなんて。

 

おそらく素朴で強い気持ちによって配置された石が、当初の目的を最後まで果たすことなく、独特の意匠、現代の芸術的庭園の源流となる形態として紹介されているなんて。

 

 

 

 

 

神聖な場所のしるしとして他所から持ってきたものを配置するのとは反対に、もともと自然に存在していた石などを神聖なものとして崇め、整備する、という例もある。

 

 

たとえば、磐座。

 

山中など、自然の中にあって、自分たちでは到底据えることのできないような巨大な石に神秘性を見出した。

 

 

そして、神池・神島。

 

自然の中にある湧き水と、それからできる池に神々の存在を見出し、池の内部に島を作ることで神聖な領域をあらわした。

 

 

神池でいえば、滋賀県兵主大社が有名だ。

こけむした新地はとてもよく整備されており、もうほぼ現代の庭園といっても差し支えないくらいである。

 

「昔は、『これは鎌倉時代の庭園である』なんて言われたりしてたんですけどね、調査するうちに、どうやらそうでないらしいということになりました」

 

 

 

現在の兵主大社は朱色の楼門で有名だが、楼門や拝殿はのちにつくられたもので、神池ができた当時には存在しなかった。

 

 

「現在の神池は楼門から入って左手にあるんですけれど、いろいろ調べてていくと、楼門から右手側にも、左右対称の形の神池があったということが分かりました。そして、それらは細い水路でつながっていたということです」

 

 

 

周囲は田畑、あるいは特に整備されていない、なにもない土地だった。

そこから湧き出る水。

できあがる池。

それらをつなぐ、細い水路。

 

そこには神様がいた。

 

 

二つの池をつなぐ水路を、人々はどのようにつかったんだろうか。

何もない土地にある大きな池を、どれくらい神聖な気持ちで見ていたんだろう。

 

 

自然の中に突如現れた特別に対して、人々は相当な畏敬の念を抱いたに違いない。

 

 

のちの池泉庭園にもみられる、水の流れに対する特別な感情はこのときからすでにあり、祭祀の場として確かに成立していたのである。

 

 

 

 

 

「ほかにも流れ祭祀遺構としては、城之越遺跡が有名です。ほんとに、なんでこんなところに、って思うくらい辺鄙なところにあります」

 

 

兵主大社の池にただよっていたわたしの頭は、そのまま城之越遺跡に湧き出でた。

 

 

城之越遺跡では、三か所から出ている湧き水を利用して、それが一つの流れに集約されるような構造がとられている。

 

 

神聖な流れだ、と思った。

 

 

 

 この遺構では、石組や石の敷き方など、のちの庭園に非常に酷似した技法が駆使されている。

そして、三つの流れが合流するまでの、曲線的な水の流れもそのそのひとつだ。

 

現代の曲水庭園は、人工的に整備された曲線状の水の流れにその美しさがあるが、この遺構の曲線的な水の流れはより自然なものに近いような印象を受けた。

 

どちらにせよ、水の流れに何かしらの重要性を見出しているという点では共通している。

 

 

「城之越遺跡は、外的空間としての人工的庭園と、祭祀を行う神聖な空間の中間に位置するような整備のされ方をしていて、ふたつの過渡期的存在といえます。非常に興味深いですね」

 

 

 

遺跡に涌き出たわたしのあたまは、ぼんやりしたまま水路を漂い始めた。

 

なにもない土地に、湧き水がみっつ。

静かに流れだす水は、うねりながら水路をたどり、合流し、ひとつになる。

 

みっつの湧き水の場所で、同時にものを水にうかべるようなことが、きっとあったと思う。

神聖な場所なので、占いをしたり、神々を求めたりすることもあったんだろうか。

 

異質で神聖な水路の前で、ひとはどんな気持ちになったんだろう。

 

 

かつてそこで湧き水を見ていたであろうひとのことを、じっと考える。

 

 

ひやり、水に触れたような感覚があった。

 

 

きもちは湧き水の上でずっとぷかぷかしていて、耳には水の流れる音が、確かに聞こえていた。