溜め込んだ感情がそのまま爆発しなければ良いのですが、そうもいかないので大変です
半年に一回かそれ以下くらいのペースで、たまに全く意味のない大きな嘘をついてしまうことがあって、普段はお世辞でも嘘をつけなくて困ることも多いのに、なんでこうなっちゃうかなあ、何かしらのパーソナリティ障害なのかなと思っていたけど、よくよく考えるとわたしは普段から嘘をつきまくっていた。主に自分に対して。
わたしはよく、相手に遠慮しすぎたり我慢しすぎたり、自分の限界を看誤ったりしてしまうけれど、基本的にぜんぶ自分に嘘をついている。
なにか人に要求したいことがあってもそんな気持ちを抱いてはいないと自分に嘘をついて、嫌だと思うことがあってもその感情を無視して、限界に近づいている時でもその事実を見ないようにしている。
嬉しいことがあっても、その気持ちを表に出すのは極力避けていて、なんにも感じていないですよ、ってつんとした態度でいる。
なんでこんな風にするのか全然わからない。
でも、自分の感情は無視する方が楽だろう。世の中はうまくいかないことの方が多いので、はじめから自分の感情が通ることを期待しなければ、それだけ傷つくことも少ないだろう。
そして、自分が少し我慢すれば相手が楽になることも、世の中にはたくさんある。
そうやって日常的に嘘をつき続けているので、嘘をつくハードルがどんどん低くなっていって、もう障害物として機能しなくなった頃に、自分以外にも必要でない嘘がぽろって出ちゃうのかな。
たぶん相手はそれが嘘だってすぐ気づくけれど、わたしの周りにいる人はもうみんな大人で、嘘の必要性をわかっているので、たとえわたしの嘘が全く必然性のないものだとしても、わたしの嘘を問い詰めたりしない。優しく受け流すかわたしを信用するのを少しずつやめていくだけだ。
わたしは嘘はばれなければ良いと思っているので、相手が嘘に気づいている事実に蓋をして、気づかない振りを、嘘をついている。
わたしがもっと幼かったら、嘘に気づくみんなが、わたしに「嘘はよくない」って言うんだろうか。
そういえば、わたしの母はわたしにとっては結構鈍い人で、いや、わたしを完全に信頼していて、嘘をついてもばれないし、問い詰められることもないという慢心があったけれど、それが楽しかったり寂しかったりして、どんどん日常に嘘を混ぜるようになっていったのかな。
いや、それだけでは理由が弱すぎるだろうな。
あるいは、幼少期にあまりにも自分の期待の感情への望ましい反応を得られなかった時期が続いたので、自衛のために、自分に嘘をつく癖がついたのだ。
なんでこうなっちゃったんだろう。
その癖はわたしを殺そうとしていて、不誠実なわたしであることは楽になってほしい相手を刺し続けることでもあって、本当に辛いのに、その気持ちさえ、わたしはきっと、遠い嘘にすることができる。