炊飯にまつわる小噺 心情のジェットコースター

実家から新米が届くというので、わたしはウキウキしていた。

つい先日、炊飯用のきれいな土鍋を買ったばかりなのである。

 

 

一人暮らしを始めてから6年、ずっと使っていた炊飯器が中途半端に硬いご飯を炊き上げるようになってしまい、半年ほど片手鍋でご飯を炊いていた。

もともと白米をよく食べる方ではないので、それでも不都合はなかったのだが、偶然美しい土鍋を見つけて購入したところだったのだ。

 

 

新しい土鍋で新米が炊けるとは、楽しみなことこの上ない。

 

土鍋の目止めを行い、冷凍庫のスペースを空け、古米を炊くのを我慢して新米が届くのを待っていたのである。

 

 

 

 

実家から届いた小包には、カップ2杯からすこしあふれるくらいの新米が入っていた。

2合炊きの土鍋にぴったりの量である。

 

 

新米は少なめの水で炊くべしとのことで、ちょうど2合分くらいの水を土鍋に入れ、強めの中火にかける。

12分ほど経ちふつふつと音がしてきたところで、火を弱火にし、さらに5分。

お焦げを作りたかったので、さらに3分ほど弱火での過熱を追加する。

 

 

と、少し席を外したところで、気づかないうちにガスコンロの火が消えてしまっていた。

鍋でご飯を炊くのは、意外に工程が少なく簡単なようでいて、やはり失敗の要素が多い。

 

お焦げを作るための過熱だったので炊飯には問題ないだろうと思い直し、蓋をしたまま20分の蒸らしに入った。

 

 

 

初めて使う土鍋で炊く新米。

出来上がりが楽しみで仕方ない。

 

 

 

 

蒸らしの時間が終わりどきどきしながら土鍋の蓋を開けると、つやつやの新米が現れた。

 

 

しかし、炊きあがったご飯は思ったより硬かった。

 

 

 

やはり途中で火が止まってしまったのがよくなかったのだろうか。

残念ではあるが、初めての土鍋での炊飯は少し失敗してしまったようである。

 

 

とはいえこの土鍋との付き合いも始まったばかり。

これから浸水や火力の加減についてもわかってくるだろう。

 

 

 

 

お焦げの生成には成功していたので、その歯ごたえを楽しみつつ、炊飯の結果を母に報告する。

 

いつもであれば2合の白米を消費するのに1か月かかることもあるが、新米のお焦げがおいしくてすぐなくなりそう。

 

そんなことを話していると、母が怪訝そうにこう尋ねてきた。

 

 

 

 

「ところで、送った新米は1袋に3合入っているけど、2合って何のこと?」

 

 

 

 

 

 

どういうことだろう。

 

 

 

 

わたしは今日、いつものように付属のカップを使ってお米を計量した。

お米は確かに、カップ2杯には収まらなかったが3杯には満たないほどの量だったのだ。

 

 

それが3合だって?

 

 

しかし、2合と3合を測り間違えるならまだしも、3合だと思って2合でも3合でもない量のお米を袋詰めするのは妙である。

 

 

 

 

 

 

 

わたしはキッチンに戻り、恐る恐る米びつに入ったカップを手に取った。

 

 

 

 

 

 

え、

 

 

 

 

乾いた声が漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとそのカップは、合数とmLの両方のメモリが刻まれており、

すりきり1杯が、1合ではなく200mL強を示す計量カップだったのである。

 

 

 

 

 

わたしは混乱した。

 

より複雑な方法で。

 

 

 

 

 

 

今まで1合(約180mL)と200mLの区別がついておらず、計量カップのすりきり1杯を1合としていた過ちに気付いたから、

 

ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

このひとり暮らしの6年間の、お米の計量に関する記憶が大きく揺さぶられたからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは今日初めてお米を炊くわけではない。

 

 

そしてわたしは、1合と一般的な計量カップの1杯が違うことを確かに知っている。

 

 

 

 

今までお米の炊きあがりに問題がなかったことを考えると、わたしはこの6年間、すりきり1杯ではなく、計量カップのちょうど1合のメモリのところを目印にお米を計量していたはずなのである。

 

 

 

 

計量カップのちょうど1杯ではなく、8分目位のところに量を合わせる作業は複雑である。

 

 

複雑なルーティンは単なる記憶を超越し、身体記憶として体にしみこんでいるはずだ。

 

 

 

 

しかし、その記憶が一切ないのだ。

 

 

 

 

 

むしろ、すりきり1杯で1合を計量した記憶の方が身近であるような気さえする。

 

 

 

今日もわたしは、無意識に計量カップのすりきり1杯を基準にお米を計測し、送られてきたお米が2合よりは多く3合よりは少ないと判断した。

 

 

 

 

お米をすりきり1杯で計測するか、カップの8分目くらいの位置にあるメモリに合わせるか。

 

 

そんなルーティン的に行っている動作の記憶が、いつの間にか置き換わってしまうことなんてあるのだろうか?



 

 

 

わたしが2か月、長い時は3か月に一回しかお米を炊かない生活を送っているからだろうか?

 

 

 

 

 

いや、2年ぶりに車を運転をした時もなんとか操作を思い出せたのに、

 

半年に一回ほどしか使わない住宅用洗剤の収納場所だって覚えているのに、

 

2,3か月に一度カップでお米を計量する際の手順を間違えるなんて。

 

 

 

 

 

 

疲労からくる脳の誤作動という感覚でもない、

 

わたしの脳みそに、なにかもっと大きな問題があるのかもしれない。

 

 

 

神経内科の受診を本気で考える。

 

 

 

 

 

 

不安から台所をうろうろしていると、ふと、ある事を思い出した。

 

 

 

 

そういえば半年ほど前、米びつを一回り小さなものに買い替えたのだった。

 

古い米びつも確か吊り扉の一番上にあるはずだ。

 

 

キッチン収納の扉を開き、透明な米びつと、その中に転がる米びつとセットだったらしい計量カップを一目見て、わたしはすべてを理解した。

 

 

 

 

 

つまり、一人暮らしをはじめてから5年ほど使っていた計量カップは、たしかにすりきり1杯が1合だった。

 

 

 

そして、米びつを買い替えた際に計量カップの仕様も変わったことに気付かず、体にしみついた記憶のまま計量を続けてしまっていたのだ。

 

置き換わっていたのは、記憶ではなく計量カップのほうだったのである。

 

 

 

 

よかった。

 

 

 

 

 

いや、本当によかったのだろか?

 

 

 

 

 

 

自分の脳に重大な異常がないらしいことに安堵すると同時に、気付かなくてもよい事実が脳裏をよぎる。

 

 

 

 

 

 

米びつを買い替えたのは半年ほど前。

 

 

そして、炊飯器で炊くご飯が妙に硬くなり始め、故障を確信したのも半年ほど前なのである。

 

 

 

そのときも、「しっかり計量」していたはずなのに。

テンペストを用いたアプロプリエーション様相の提案

 

 テンペストシェイクスピアの晩年の作品とされており、魔法や妖精が数多く登場する幻想的な舞台が特徴である。地位を奪われ孤島に流されたプロスペローの復讐劇が描かれるが、最終的にはプロスペローは自らを謀った者たちにも赦しを与えることから、テンペストは「復讐と和解」の物語であるとされている。

 

 

 

  • アプロプリエーション様相と既存の翻案作品

 

 アプロプリエーション様相とは、舞台作品の再制作の手段として、作品の「近接化」を主とするアダプテーション様相と対になるものとして位置づけられている。

 すなわち、アダプテーション様相では素材となる物語への「忠実」の度合い、そしてその「忠実」が観客に察知されることが重要であるのに対し、むしろ素材を批判し、問い詰め、価値を吟味することが求められるアプロプリエーション様相においては、どの作品のどんな問題点が標的となっているのか、という設定さえも受容者の感性にゆだねられる。

 問題の提起をほのめかすためにはある程度素材との「類似性」が必要になる一方で、特定の解釈をおしつけることは、アプロプリエーション様相を仕掛けられた作品の鑑賞において必要な作業ではない。

 

 

 

 

〇『あるテンペスト』(エメ・セゼール、1969)

 

 テンペストの物語の中で比較的手ごろな批判材料となりうるのは、キャリバンやシコラクスといったいわゆる原住民のあつかいであろう。プロスペローは島に対してはあとからやってきた侵略者であり、原住民から島を取り上げただけでなく、原住民を奴隷として使役さえしている。

 この西洋中心主義的なプロットは、ヨーロッパによる新大陸発見と奴隷制度の歴史という観点から様々な批判・解釈をうけてきた。

 これに対して、フランスの作家エメ・セゼールは、1969年に戯曲『あるテンペスト』を出版する。作中では、キャリバンを「ニグロの奴隷」と明言して現実社会に即した属性を与えることで批判の対象を示すとともに、テンペストの主題のひとつである「和解」がキャリバンには向けられない物語を描くことで、実際の差別問題の複雑な構造を明らかにしている。また、素材の基本的な舞台設定や物語の流れを踏襲することで、受容者が容易に標的を察知することができる状況を作り出しているという点において、『あるテンペスト』は、アプロプリエーション様相による批判のためにアダプテーションも用いている実例だということができるだろう。

 

 

 

○『プロスペロの本』(ピーター・グリナウェイ、1991)

 

 グリナウェイによる映画作品もまた、素材の基本的な設定やストーリーをそのまま踏襲しているという点においてはアダプテーションの様相を呈している。

 一方、映画の中でプロスペロー自身が物語をつづり、プロスペローの声によって登場人物たちのセリフが読まれるという演出から、プロスペローが老年でありテンペストシェイクスピアの晩年の作品であること、プロスペローが魔法を捨てる結末がシェイクスピアが作家業から手を引く過程と類似することなどからしばしば指摘されるプロスペローと作家(シェイクスピア)の同一性について言及しているようにも思われるが、ここでは本や学問の取り扱いに焦点を当ててみたい。

 劇中に頻繁に登場する書き文字や本のページが舞うシーン、具体的なタイトルと内容が与えられたプロスペローの生を救ったともいえる24冊の本、魔法を捨てたプロスペローが本を捨てに行くシーン、さらには『プロスペローの「本」』というタイトルからして、本作が本や学問に対する文化観を重点的に描いているということがわかる。さらに、素となる作品ではあまり描かれていないが、プロスペローが追放された原因が、学問(本)へ没頭し政治をおろそかにしたこと、すなわち私を重視し公を軽んじたことにあるとするならば、プロスペローの自意識に焦点を当てた再解釈も可能なのではないだろうか?

 

 

 

○『禁断の惑星』(イーストマン・カラー、1956)

 この映画作品は、上記の二作品と比べると最もアダプテーション様相の度合いは低い。つまり、言われなければこの作品がテンペストの設定を踏襲しているとはわからないほどであり、舞台が孤島から宇宙に変化し時代設定も異なるほか、登場人物の人数や生い立ちなど、細かな設定が変化している。この作品の中にアプロプリエーション様相の適用を見るならば、テンペストにおける魔法が映画の中で科学技術に適用されていること、すなわち発達を続ける科学に対する警鐘的な主題を読み取ることができるだろうか。

 さらに、テンペストが平和で円満な未来を予感させる終わり方をしている一方、禁断の惑星の中でのプロスペロー的立ち位置であるモービアス博士は自爆を選ぶ。この悲しい結末を、テンペストの「和解」に対して「実現されなかった平和」ととらえるならば、先述の主題を補強するためのストーリーであるようにも思われるし、それがモービアス博士の自我の暴走の結果であることを考慮すると、こちらの作品もプロスペローの自我と潜在意識に焦点を当てアプロプリエーション様相を仕掛けているようにも思われる。

 

 

 

 

 

  • 新たなアプロプリエーション様相の提案

 

 上記の作例を踏まえて、新たにプロスペローの自意識、そしてあまり触れられてこなかった娘・ミランダの自意識、ひいては二人の親子関係について焦点を当て、アプロプリエーション様相を仕掛けてみたいと思う。ストーリーは以下のようになる。

 

 

―――

  舞台は現代。父と娘は長年二人暮らしを続けている。

  優秀だが満足な地位につくことができなかった父は社会へのルサンチマンを募らせており、社会への復讐のために娘の教育には熱心である一方、友人と遊ぶことを禁じ、隣人を自分たちより劣った存在であると教え込むなど娘に対して支配的な態度をとりつづけていた。

  容姿に恵まれ高い学歴も手に入れた娘は、父の勧めである男性と恋仲になる。二人が結婚すれば自分にも転機が訪れるだろうという父の策略のためであったが、娘は誠実な男性のおかげで以前からうすうす感じていた父からの抑圧を改めて自覚し、その影響からのがれようともがき始めるのであった。―――――――

 

 

 

 

 過去には「正当」であったはずの制度や行為を現代の文脈で評価するならば、家父長制も批判を免れない。テンペストの主要な女性の登場人物は、娘のミランダとキャリバンの母であるシコラクスのたった二人であり、国においても島においても権力はすべて男性が握っていることがほのめかされている。プロスペローはミランダを愛し素晴らしい教育を施したと言うが、それでも自らの策略のため、実の娘にも魔法をかけて特定の男性と恋仲になるようにしむける。しかも意図的に恋路を邪魔しさえする。つまりプロスペローにとってミランダは道具でしかない。テンペストが「復讐と和解」の物語だとして、その赦しが敵やキャリバンにさえ向けられるのに対し、プロスペローがミランダに(自分の勝手、あるいはミランダの恋心をもてあそんだことについて)一言詫びることはないのである。

 

 

 提案するアプロプリエーション様相では、舞台を現代にすることで家父長制に対する批判的なまなざしの受容を促すとともに、今なお様々な課題をはらむジェンダー観をもう一つの主題とすることで、現代社会の問題の構造をより明らかにすることを目指す。

 

 すなわち、父子家庭や父親の子育て参入が比較的一般的になってきた現代において、かつては母子間の問題として語られることが多かったいわゆる「毒親」問題が、父と子の間でも生じうるということである。そしてジェンダー平等を目指しているはずの社会において、長年ひとりで子育てをしてきたという点で平等の志向に触れているはずの父は、やはり男性として自分の能力で身を立てることを至上とし、それが女性である娘の結婚によってなされると信じて疑わないこと、つまり、ある点においてはジェンダーの平等が達成されているかのように思われるにもかかわらず、ある点にはいまだ過去の価値観を引きずっているという矛盾した状況を描くことによって、まさにジェンダー問題の過渡期である現代の様子をより明らかにすることができる。

 

 

 

 物語の中で娘は、自分の意思であると感じていたことが父の意思であったこと、父からの抑圧が自らの生きづらさを助長していることに気づいて悩む。しかし、男性への恋心がゆるぎなく、男性と出会えた過程や、確かに自分の助けになっている教育に父の協力があった事実をどのように受け止めればよいのかわからず大いに苦しむであろう。父にとっては、長年育て上げた愛しい子供が自らの手を離れようとする苦しみを味わうことになる。それは単なる子離れ・親離れの問題に終始しない。自分と子供の自我の区別をつけられなかった父にとっては、自分の身体の一部が無理やり切り取られるかのような苦しみであり、長年練り上げてきた計画が成し遂げられなかった絶望と対になって目の前に立ち現れるのである。

 

 

 

 

 

 

 

【参考文献】

松岡和子訳,テンペストシェイクスピア全集8,ちくま文庫,2000

 

 

尾崎文太,エメ・セゼール『あるテンペスト』 : シェイクスピア演劇の新大陸/植民地主義的問題系への翻案の意味,日本フランス語フランス文学界関東支部論集,14巻,2005

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bellf/14/0/14_253/_pdf/-char/ja

 

大島久雄,『プロスペロの本』と西洋書籍文化,芸術工学研究.9,pp.1-11,2008-03-25

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2794879/p001.pdf

 

大橋洋一,エアリルとキャリバンラテン・アメリカにおけるシェイクスピア的人物の文化史への覚書,れにくさ = Реникса : 現代文芸論研究室論集 (4) ,58-73,2013

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=37461&item_no=1&page_id=28&block_id=31

 

菊池善太,The TempestからForbidden Planetへ ―CalibanはIdの怪物か?―,日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.7,399-407,2006

https://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf07/7-399-407-kikuchi.pdf

ハッピーデザイン

デザインとアートの違いについて、長らく考え続けている。

 

 

 

起源をある程度一にするはずのこのふたつが完全に分離してしまったと感じられる現在では、例えばアートは作家の自由だがデザインにはクライアントがいるとか、アートは美しさを追求するがデザインでは機能性が重視されるとか、お互いの違いをいっそう強調するような切り口でそれぞれの特徴を述べる言葉が多く存在するが、どれも完全に納得できるものではない。

 

 

デザインにだって美の追求の観点は絶対に必要なはずで、こういった言説には基本的に装飾デザインに対する視点が抜け落ちているし、アーティストが好き勝手した結果がアートだ、という偏見が現代芸術に対する誤解を招いているともいえるからだ。

 

 

そうした考えがまかり通るなかで、思想に現実が順応していくように、美しさの感情を切り捨てたデザインが発達していくありさまに嫌気が差し始めたころ、デザインを規定しうる新しい枠組みに遭遇した。

 

 

 

 


「デザインとは、ハッピーなものだ」

 

 

 

 


建築における室内装飾から分化したデザインは、あきらかに細部の美しさを礼賛する人間の心理と関わっているということができるだろう。

 


その後様々な分野で様々にあり方を変えてきたデザインも、基本的にはすべて、人々を幸せにしたり、ポジティブな感情を抱かせるという点において共通しているはずだ。
アールヌーボーのぐねぐねした過装飾も、特定のプロジェクトにおいて適用されるロジカルなデザイン思考も、無印良品のつるっとしたプロダクトも、作用の対象は違えどすべてなにかをプラスの方向に向かわせることを目的としている。

 

 

 

 

一方で、アートはどうだろう。

 


鑑賞者という対象が必要不可欠であるアート作品は、世間に数多く存在している。
しかし、それらの作品が対象に与える心的作用は、決してポジティブなものとは限らない。時に鑑賞者に深い考察を要求し、時に鑑賞者を悲しみで打ちのめしさえする。あるいは、鑑賞者を想定せず、作家の自己表現としての側面を全面に打ち出した作品も多い。

 

 

 


道路標識や掲示物は人を混乱させるものであってはならないし、製品は使いやすくなくてはならないし、空間は住み良いものでなくてはならない。
このようなことを考えれば、標識や製品のあとにつく言葉が「アート」ではなく「デザイン」であるのも頷ける。

 

 


そういうことを考えると、ポジティブな影響を与えるもの、ハッピーなもの、という条件は、なるほどアートとデザインを分ける分類になり得るのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

そしてこの考えは、私のもうひとつの長年の疑問である、「ファッションデザイナー」という職業の名称についても新しい視点をもたらしてくれた。

 

 


現代アートとも見まがうほどの奇抜な衣装を創造する彼らが、なぜアーティストではなくデザイナーと呼ばれているのだろう?

  

それは、服作りそれ自体の手仕事的(つまりある種のプロダクトデザイン的)あり方に加えて、衣類を身に纏う行為が、人間の幸福と少なからず関わりを持っているから、といえるのではないだろうか。

 

 

 

 

もちろん、世の中にはいわゆるデザイナーズブランドの衣類のように、人が着ることを想定していないもの、あるいは着ることで人を不安にさせるような衣類も存在している。


しかしながら、そのようなファッションは一般的でなく、例えば上記の特徴を持ったファッションをデザインした川久保玲が高く評価されるのは、ファッションにおいてアート性を人一倍強く打ち出したからであり、その事自体がその他一般のファッションデザインの「デザイン性の強さ」を示しているということができるのではないだろうか。

 

 

 

人が纏うことを前提とした、強固な枠組みのなかでの表現が求められているファッションは、いくらその表現が奇抜であったり「ハッピーな」ものでなかったりしても、他のアート作品とは一線を画していると言わざるを得ないだろう。

そして、素晴らしいものを纏う瞬間の私たちの心の高ぶりを考えれば、基本的なファッションが「ハッピーな」ものでないなど、いったい誰が言うことができようか。

 

 

 

 

 

造形において無駄に思われるものを排除したり、思考から創造までのプロセスの理論が完璧でなくてはいけなかったり、ある種ストイックでつまらなくも感じられるデザイン(特にモダンデザイン)の制約が、すべてひとのハッピーを目指すためのものだとしたら。

 

 

もしそうなのだとしたら、もう少し素直でハッピーな気持ちで、世の中のデザインを見つめられる気がしたのである。

 

 

 

 

 


(同文をノートにも投稿しています)

溜め込んだ感情がそのまま爆発しなければ良いのですが、そうもいかないので大変です

半年に一回かそれ以下くらいのペースで、たまに全く意味のない大きな嘘をついてしまうことがあって、普段はお世辞でも嘘をつけなくて困ることも多いのに、なんでこうなっちゃうかなあ、何かしらのパーソナリティ障害なのかなと思っていたけど、よくよく考えるとわたしは普段から嘘をつきまくっていた。主に自分に対して。

 


わたしはよく、相手に遠慮しすぎたり我慢しすぎたり、自分の限界を看誤ったりしてしまうけれど、基本的にぜんぶ自分に嘘をついている。
なにか人に要求したいことがあってもそんな気持ちを抱いてはいないと自分に嘘をついて、嫌だと思うことがあってもその感情を無視して、限界に近づいている時でもその事実を見ないようにしている。
嬉しいことがあっても、その気持ちを表に出すのは極力避けていて、なんにも感じていないですよ、ってつんとした態度でいる。

 

 

なんでこんな風にするのか全然わからない。
でも、自分の感情は無視する方が楽だろう。世の中はうまくいかないことの方が多いので、はじめから自分の感情が通ることを期待しなければ、それだけ傷つくことも少ないだろう。

そして、自分が少し我慢すれば相手が楽になることも、世の中にはたくさんある。

 

 

そうやって日常的に嘘をつき続けているので、嘘をつくハードルがどんどん低くなっていって、もう障害物として機能しなくなった頃に、自分以外にも必要でない嘘がぽろって出ちゃうのかな。
たぶん相手はそれが嘘だってすぐ気づくけれど、わたしの周りにいる人はもうみんな大人で、嘘の必要性をわかっているので、たとえわたしの嘘が全く必然性のないものだとしても、わたしの嘘を問い詰めたりしない。優しく受け流すかわたしを信用するのを少しずつやめていくだけだ。

 

わたしは嘘はばれなければ良いと思っているので、相手が嘘に気づいている事実に蓋をして、気づかない振りを、嘘をついている。
わたしがもっと幼かったら、嘘に気づくみんなが、わたしに「嘘はよくない」って言うんだろうか。

 

 

そういえば、わたしの母はわたしにとっては結構鈍い人で、いや、わたしを完全に信頼していて、嘘をついてもばれないし、問い詰められることもないという慢心があったけれど、それが楽しかったり寂しかったりして、どんどん日常に嘘を混ぜるようになっていったのかな。

いや、それだけでは理由が弱すぎるだろうな。

 

あるいは、幼少期にあまりにも自分の期待の感情への望ましい反応を得られなかった時期が続いたので、自衛のために、自分に嘘をつく癖がついたのだ。

 

 

 

なんでこうなっちゃったんだろう。

 

その癖はわたしを殺そうとしていて、不誠実なわたしであることは楽になってほしい相手を刺し続けることでもあって、本当に辛いのに、その気持ちさえ、わたしはきっと、遠い嘘にすることができる。

 

 

 

心身の不調

昨晩、寝しなに「怖いよぉ」と呻きながら号泣していたら、今日はバイト先で倒れ、タクシーで救急外来に行く羽目になってしまった。

 

 

外来の受付にはわたしのほかにも人がいて、ひとりは足を組みながら新聞を広げている。

もうひとりは確かに体調は良くなさそうだけれど、明らかに高齢が原因だろうと思われる、休日の救急外来の常連客らしい人だった。

 

思いのほか、見た目ではわたしが一番しんどそうだ。

けれど、そんなわたしでも、明確に診断をもらえそうな不調は風邪か膀胱炎くらいしか思いつかない。

 

 

二時間近くかかって膀胱炎の薬をもらう。

別に、病院に行くのは明日でもよかったような気がする。

よたよたしながら自宅へ向かう。

 

 

 

 

最近分かったのは、わたしは思い出のたくさんある人が心底羨ましいということと、眠っている人の顔をうまく判別することができないということだ。

 

 

半ば意識的にいろいろなことを忘れてきた。

だけど、頑張って長生きしてきたつもりで、もう相当しんどくなってしまっているのに、後ろに何も思い起こすことがないのは惨めだ。

 

思い出だけで今を生きているような人が羨ましい。

でもそれは、きっともっと長生きすることでしか得られない生き方なので、いっそう羨ましく妬ましいのだった。

 

 

人の寝顔を識別できないので、隣に他の人が眠っていても気づかないかもしれないと思うのも悲しかった。 

いや、薬を飲んでも数時間おきに目が覚めるのだから、そんな心配はきっといらないのだろう。

 

眠りが浅くて訳が分からなくなることはあっても、人が分からなくて混乱することはきっとないはずだ。

きっと。

 

 

 

 

昨晩何があんなに恐ろしかったのか、もうあまりうまく思い出すことができなくなっていた。

 

ただそのぼんやりとした記憶が、わたしを安らかな眠りから一層遠ざけるだけなのだ。

 

 

バスの中では若い男が嘔吐した

「キャッ」 バイト帰り、土曜日の夜10時くらいのそこそこ満員のバスで、後ろの方から悲鳴が聞こえた。 続けて何人かが逃げるように前方にやって来る。 やだ、うしろでなんかあったん? みんな後ろをキョロキョロ振り返る。

車掌! ちょっと調子悪い人がおるみたいですわ!

男の人が叫んで、バスが止まった。女の人がなにか拭くものを求めて運転手に話しかけた。誰かが吐いたらしい。車内はちょっとざわざわした。確かに酸いにおいがする気もする。バスは暫くして動き出したけど、次のバス停で運転手はどこかへ行ってしまった。乗客はけっこう放置された。

すいません、このバス運行やめるんで、次のバス乗ってください。1番ならすぐ来るんで

え、このバス4番ですよね、1番ってどこ行くんですか

途中までは一緒です

4番はいつ来るんですか?

しばらくこないですね!

絶妙な責任の取り方、あるいはとらなさをもって運転手が普通に話したので、乗客もわりと普通に話した。みんなすごすごとバスを降りていく。

あの、運賃は……

要らないです!

昼間は暑かったのにその日の夜は冷えた。バス停に妙に人が多くなってしまった。吐いたらしい人と、その人を助けたらしい人たちはまだ降りてこない。1番のバスを待つ人たちも静かで、落ち着いていて、電話で話してる女の人がひとりいるだけ。

だから今日は彼氏の部屋に突撃する予定やってん。そう、ちょうど今日で3ヶ月なんよ! そんで連絡なしで突撃しようと思って、逃げたら困るやん笑。そー、だからー、部屋に直接行く予定やって、彼女がおるかもしらんけど、もう終わろ、と思って。ちょうど今日夜はいれたし、そのまま家いこー、と思って。もう仕事もやめるし、今日でちょうど3ヶ月やしー、と思って。きりいいし。そういう強い意思で4番乗ってん、今日は。え、どこ行けばいい? 橋の方? オッケー

女の人、バスが止まったことについてひとつも喋ってない。バスから若い男が降りてきた。手に袋を持っている。あれに吐瀉物が入ってるんだ。サラリーマン風の人に介助されていて、その人は若い男にため口で話しかける。

じゃあ、このへんでも座らせてもらって。大丈夫? お酒飲んでるの?

はい……

一人暮らし?

はい……

ひとりで帰れる? 誰か迎えに来てもらえそうな友達とかいない?

えっと……

はいこれ、ティッシュ

ありがとうございます……すいません……

うん、じゃあとりあえずなにか、飲み物とか買ってくるから

ありがとうございます……すいません……

サラリーマン風の男はコンビニに向けて歩きだした。近くにコンビニあるのかな。女の人は電話をしながら橋の方に向かってバス停を離れた。若い男はうなだれている。背中が細い。嘔吐の近くにいたらしい人たちはバスの中とか外でいろいろ話しているけど、バス停にいる人たちは次来るらしい1番のバスをじっと待っている。

すぐ近くで、バスが左折してこっちにやって来るのが見えた。4番のバスだった。

レポート:庭園美学論

現在わたしたちが目にする古庭園は、大陸からの文化の影響を受けており、成立したのは飛鳥時代以降であった。

 

しかしながら、意匠構造の違いはあれど、日本ではそれ以前から「庭園的なもの」が形成されており、いわゆる現在の古庭園の源流となった遺構などが多数存在する。

 

 

 

「例えば、秋田県大湯環状列石が有名ですね。stone circleというものは、世界各国に存在しているようなんですけれども」

 

説明と共に、地面に垂直に配置された細長い石の周りに、大きめの石がいくつも横たわっている写真が映し出された。

遺構の付近には川があり、この遺跡はそこから川石を持ってきて作られたものらしい。

 

 

積み上げられた石は、神聖さをあらわす最も原始的なモチーフのひとつだとおもった。

 

平坦な地面の上に、ひとつ、異質な素材の石を置く。

簡単な動作だけれど、石はそれだけで目印になり、特別な場所になった。意匠を凝らした配置ならなおさらだ。

 

 

 

他にも、三内丸山遺跡では50以上の環状列石が見つかっている。

 

日時計的な要素を持った上記の環状列石に対して、こちらはお墓のような役割をしていたらしいということだった。

 

広い土地に、小ぶりなstone circleがいくつもある。特別な場所だと、一目見てすぐわかるようになっているのだ。

 

しかし、その下から遺骨などは発見されていない。

 

 

「どうやら石の成分でね、骨が溶けちゃったらしいんですよ」

 

 

どきりとした。

 

集落で、人が死ぬ。

死は特別なものなので、人々は敬意をもってお墓を作った。

わざわざ外から持ってきた石を配置して。

 

その石の配置は独特であり、今なお魅力的な意匠としてわたしたちの目に映っている。

 

でも、その下に遺骨が残っていないなんて。

 

おそらく素朴で強い気持ちによって配置された石が、当初の目的を最後まで果たすことなく、独特の意匠、現代の芸術的庭園の源流となる形態として紹介されているなんて。

 

 

 

 

 

神聖な場所のしるしとして他所から持ってきたものを配置するのとは反対に、もともと自然に存在していた石などを神聖なものとして崇め、整備する、という例もある。

 

 

たとえば、磐座。

 

山中など、自然の中にあって、自分たちでは到底据えることのできないような巨大な石に神秘性を見出した。

 

 

そして、神池・神島。

 

自然の中にある湧き水と、それからできる池に神々の存在を見出し、池の内部に島を作ることで神聖な領域をあらわした。

 

 

神池でいえば、滋賀県兵主大社が有名だ。

こけむした新地はとてもよく整備されており、もうほぼ現代の庭園といっても差し支えないくらいである。

 

「昔は、『これは鎌倉時代の庭園である』なんて言われたりしてたんですけどね、調査するうちに、どうやらそうでないらしいということになりました」

 

 

 

現在の兵主大社は朱色の楼門で有名だが、楼門や拝殿はのちにつくられたもので、神池ができた当時には存在しなかった。

 

 

「現在の神池は楼門から入って左手にあるんですけれど、いろいろ調べてていくと、楼門から右手側にも、左右対称の形の神池があったということが分かりました。そして、それらは細い水路でつながっていたということです」

 

 

 

周囲は田畑、あるいは特に整備されていない、なにもない土地だった。

そこから湧き出る水。

できあがる池。

それらをつなぐ、細い水路。

 

そこには神様がいた。

 

 

二つの池をつなぐ水路を、人々はどのようにつかったんだろうか。

何もない土地にある大きな池を、どれくらい神聖な気持ちで見ていたんだろう。

 

 

自然の中に突如現れた特別に対して、人々は相当な畏敬の念を抱いたに違いない。

 

 

のちの池泉庭園にもみられる、水の流れに対する特別な感情はこのときからすでにあり、祭祀の場として確かに成立していたのである。

 

 

 

 

 

「ほかにも流れ祭祀遺構としては、城之越遺跡が有名です。ほんとに、なんでこんなところに、って思うくらい辺鄙なところにあります」

 

 

兵主大社の池にただよっていたわたしの頭は、そのまま城之越遺跡に湧き出でた。

 

 

城之越遺跡では、三か所から出ている湧き水を利用して、それが一つの流れに集約されるような構造がとられている。

 

 

神聖な流れだ、と思った。

 

 

 

 この遺構では、石組や石の敷き方など、のちの庭園に非常に酷似した技法が駆使されている。

そして、三つの流れが合流するまでの、曲線的な水の流れもそのそのひとつだ。

 

現代の曲水庭園は、人工的に整備された曲線状の水の流れにその美しさがあるが、この遺構の曲線的な水の流れはより自然なものに近いような印象を受けた。

 

どちらにせよ、水の流れに何かしらの重要性を見出しているという点では共通している。

 

 

「城之越遺跡は、外的空間としての人工的庭園と、祭祀を行う神聖な空間の中間に位置するような整備のされ方をしていて、ふたつの過渡期的存在といえます。非常に興味深いですね」

 

 

 

遺跡に涌き出たわたしのあたまは、ぼんやりしたまま水路を漂い始めた。

 

なにもない土地に、湧き水がみっつ。

静かに流れだす水は、うねりながら水路をたどり、合流し、ひとつになる。

 

みっつの湧き水の場所で、同時にものを水にうかべるようなことが、きっとあったと思う。

神聖な場所なので、占いをしたり、神々を求めたりすることもあったんだろうか。

 

異質で神聖な水路の前で、ひとはどんな気持ちになったんだろう。

 

 

かつてそこで湧き水を見ていたであろうひとのことを、じっと考える。

 

 

ひやり、水に触れたような感覚があった。

 

 

きもちは湧き水の上でずっとぷかぷかしていて、耳には水の流れる音が、確かに聞こえていた。